平成最後の日に

ちょっと思い立って振り返ってみる。

おたく遍歴。

 

平成元年、わたしは幼稚園の年長で、光GENJIのことがなんとなく好きだった記憶。全然覚えてないけどなんか写真?持ってたんだよなぁ。

小学校に上がってからはアイルトン・セナで、いつからかはっきりしてなくて、でも記憶にあるレースが小2のときのなので少なくともそこから、1994年サンマリノGPまで。それ以降は全く見なくなってしまって。あのレース、何年たっても忘れられないんだよなぁ。。。

 

小学校高学年の時はもれなく「光一派?剛派?」みたいなん言ってたし、はじめちゃん(金田一)だいすきだったし、佐野くんが好きだった。佐野くんの1ページのためにMYOJO買ったな~。

 

中1か中2の時にGLAYに出会い、ここから本格的におたくっぽさが出てきました。

初めてライブに行ったのは2000年のツアーかな、横アリのセンター席前から20列目くらいだったなー。

同時進行で高3でRIPSLYMEにハマり、ややHIPHOPにもハマる。めちゃミーハーだね。

 

ここまでセナ以外はミーハーな感じで歩んできたおたくロード、2003年に劇的な変化を迎えることになる。はい、MotoGPです。

お姉ちゃんが夜中やってたレースを見てたのがきっかけで姉妹でハマって。初めての現場(現場)は2005年だったかな。20代前半の女がなにを車中泊して観戦しに行ってんのよ。初めて見た決勝レースの時のエンジン音、やばいほど興奮した。脳内で何かが分泌してるのをめちゃくちゃに感じた。

イタリア語もちょっとだけど勉強したね。(好きなライダーがイタリア人)

MotoGPは国内の現場は年1回だったからそれがすべてだったな~あとはテレビで見るしかないのでね。

ちなみにMotoGPはもう地上波でやらなくなってしまったし、現場も2016年を最後に行ってないので茶の間よりもっとゆるい感じになってしまいましたけど、まだ好きではいる。

 

そして2009年、じゃにおた人生のはじまりはじまり~(パチパチパチ)

2009年の3月、ヤッターマンアメリカでの舞台挨拶の時に英語で挨拶する櫻井翔くんに落ちるわけです。

しばらくは嵐だけだったし、Twitterで知り合ったお友達はほとんどがキンキかエイトの掛け持ちだったから、漠然と「掛け持ちするならこのどちらかなんだろうな~」とか思って、た、2013年5月。のちにわたしが産みまくることになる愛しい愛しい存在に出会います。そう、かめにゃんこと亀梨くんです。

気になってるときにとあるブログでかめにゃんがその昔横アリのコンサートで「Say!中華!Say!レンガ!」というC&Rをしたという事実を知り、涙を流しながら爆笑し、そのまま沼にドボン。

しかしその数か月後、MVのメイキングにてカメラ目線で「おはよう」と言ってきたなかまるくんを見てピャッとなり中丸担になります。

 

さらに2015年3月、お友達のステマによりJUMPが気になっていたところに舞い込んできた『ゆうとりんの好きな食べ物、わらびもち』という一言によりわらびもちの沼…じゃない中島裕翔くんの沼へ…大きな年の差に動揺しつつも好きに楽しませてくれよの精神で乗り切る。

 

もうね、さすがこれ以上は増えないだろ、思ってたところでしたよ、2019年1月6日。数々(というほどでもないけど)の奇妙な落ち方をしてきたわたしとしては異例の現場落ち。わたしも普通の落ち方ができるんだなとちょっと安心した(笑)

 

平成はまあいろんなカテゴリーに手を出してきたけど、令和はとりあえずじゃにおたに落ち着くのかな。

やっぱりな~じゃにおたになったことってわたしにとってめちゃくちゃ大きくて、それが何かってお友達がたくさんできたことなんですよね。

それまで生きてて楽しいなんてあまり思ったことなかったんだけど、じゃにおたになって色んな人に出会って、ネガティブ思考だったわたしはびっくりするくらいポジティブ思考になり(そりゃたまには落ち込むけど)、ストレスを抱えることもほとんどなくなったように思います。

ほんと生きてて楽しいので、ちょっと刺されたりしたくらいじゃしなねぇ、みたいな気持ち。

 

令和も楽しく愉快におたくやって楽しく生きていく!ぞ!イエーイ!(雑)